義村一仁追悼特集

修士論文の作成に向けて

2018.09.03

研究動機

 私は、人間の感情が行為に及ぼす影響について、現代社会の諸問題と照らし合わせながら研究したい。「理性的な行為」という言葉からは「十分に熟慮され洗練された行為」といった好印象を受ける場合が多いのに対し、「感情的な行為」という言葉に対しては「本能に近い軽率な行為」といったあまり好ましくない印象を持ってしまいがちである。しかしながら、我々の行為の根本的な要因となるのはむしろ感情の方であると、私は考える。いかに理性的な判断が下されようとも、感情が呼応して我々を行動へ向かわせる情念が生じなければ、そこに行為が生じることはないといえよう。感情と行為とは決して切り離せないものである。よって、私は以下に挙げる二つのアプローチから、「感情」を用いて我々の行為について検討したい。

 一つは、卒業論文において参照したデイヴィッド・ヒュームのテキストを更に詳しく読み込むことである。ヒュームは共感についての説明を用いて感情と情念を他者のための行為の源泉に位置づけた。他者を思って行為することが、理性的に順序立てた判断によるものでなく、その場でリアルに伝わってくる相手の感情に自らの感情が影響を受けた結果であることを示したのである。我々の実態に即した思想であると感じて感銘を受けたため、私はヒュームの『人性論』を卒業論文のテキストとした。しかし、卒業論文において扱ったのは同書のみであり、ヒュームの思想については研究の余地がまだ多くある。私の論文のテーマが「人は何に基づいて道徳的に行為するのか」というものであったために考察しきれなかった、「道徳的でない行為」に関しては、特に興味深い。察知した他者の情念が自己の情念に与える影響が、好ましいものばかりであるとは限らないはずである。そのような時、我々の情念はどのように動き、我々の行為はどのような影響を受けるのか。反感を抱き、結果として非道徳的な行為に至る場合もあるのではないか。感情と行為との関係を論じる際にはこのような視点からの考察も必要となろう。そのため、博士課程前期の二年間では『人性論』をより深く読み込むのはもちろんのこと、それ以外のヒュームの著書も参照し、他の思想家との比較などを行いながら、ヒュームの思想における感情と行為の関係についての理解を深めたい。

 二つ目は、応用倫理の探求である。というのも、私が研究しようとしている「感情と行為の関係」というテーマが、現代社会における諸問題と密接に関わるものであると思われるためである。各種技術の進歩やグローバル化により、我々の生きる現代社会は様々な面において多様な選択肢を生んだ。社会の多様化と共に、我々が抱える問題も、より個別的になってきており、様々な場合に応じた臨機応変な解決策の提案が求められている。こうした性質を持つ諸問題の解決には、同様に個別的で変動し易い性質を持った我々の感情という面からアプローチするのが望ましいと考えている。このアプローチの必要性を特に強く感じるのが、生命倫理と教育倫理の分野である。生命倫理は文字通り生命について考える学問であり、生や死、あるいは人間の尊厳についても議論される。生命は個別的なものであり、そのため安易に法則で規定できず、理性的に考えるだけでは論じきれない。たとえば、安楽死の是非に関する議論に明確な回答が困難なのは、一人の人物の命に関して、本人を含めた多くの人々の感情が錯綜し、安易に答えが出せないためであろう。これに限らず、複雑に入り混じる様々な感情について検討しなければ生命倫理の議論は成り立たないと、私は考える。一方、教育倫理もまた、個別的な議論が求められよう。教育の役割は、知識を教授することのみでなく、豊な人間性を育むことにもある。生徒の個性を尊重し、なお且つ社会で生きてゆける力を身につけさせるためには、理性に訴える教育だけでは限界があると思われる。特に道徳教育の場合、頭で理解させるだけでなく感情の働きによって実感するような方法をとらなければ、道徳は知識に止まってしまい、生徒たちの実際の行為に繋がらない。教育倫理においても、先に述べた生命倫理においても、それぞれの問題を解決するには「我々はどのような時にどのような感情を抱き、それがどのような行為に繋がるのか」という検討が必須なものであると考えられる。これらを考察するために、それぞれの課題が現在学会でどのように議論されているか等を学び、専門的な知識と論理的な議論の組み立て方を身につけたい。

 以上のように文献研究と応用倫理という二つのアプローチを並行させて、研究を進めるつもりである。私としては、文献研究はそこで学んだ視点を現代の問題に応用してこそ意味があると考えており、その一方で応用倫理に取り組む際に軸となる思想を先人達の文献の中から見出すことの重要性も最近実感する所である。最終的にはそれぞれの研究によって得た成果を統合し、冒頭に挙げたテーマについての修士論文に繋げたい。

修士論文構想

●目次(仮)

はじめに

第1章 人間の行為の成り立ち

1 情念の役割
2 理性の役割
3 情念と理性の関係
4 意志の役割

第2章 行為のための判断

1 善悪の判断
2 比較による価値判断

第3章 他者への感情と自己への感情
1 他者への印象.愛情と憎しみ
2 自己の評価.誇りと卑下

第4章 他者のための行為はいかにして可能か
1 普遍的愛情の否定
2 共感
3 共感による愛情
4 正義への共感

第5章 情念の不確実性による課題はいかにして克服できるか
1 人間が最も恐怖する状況
2 社会の必要性
3 コンヴェンション(convention)と習慣

おわりに

●論文の目的  
 「人間の行為は根本的に感情に基づく」という立場の下、我々が様々な行為を欲求し判断し実行する際の精神の動きを整理する。この際、感情の欠点である「自己中心的な側面」と「不確実性」に対して、これらの性質がありつつも、我々が社会の中で思いやりを持って行為できることを明らかにする。

●回答すべき課題

① 感情は、傍若無人で自分本位な行為を容易に生み、それを承認することは道徳的な生き方に反するのではないか。

② 人は気まぐれで、感情は不確実なものであるから、感情を基礎に置く限り、恒常的に他者を信頼することはできないのではないか。

●各章の流れ

・第1章:

我々の行為において、ヒュームが情念と理性と意志にそれぞれどのような役割があり、どのようにかかわりあっていると述べているかをまとめる。加えて、「理性対感情」という構図についてのヒュームの見解をまとめる。

・第2章:

ヒュームの基本的な立場として、我々が物事の善悪や価値をどのように観察し、判断しているのかについてまとめる。

・第3章:

行為する際、善悪と共に重要な要素となるのは、「誰に向けた行為か」という点である。他社に対する愛情や憎しみ、自己自身や 自己の近親者に抱く誇りや卑下、これらの感情についてまとめる。

・第4章:

課題②への回答。我々の中に普遍的な人類愛が存在しないことを改めて示し、その上でどのようにして人のための行為が可能かを探る。共感の作用を改めて詳しくまとめた後、身近な人への愛情や社会の秩序としての正義について、共感をからめて考察をまとめる。

・第5章:

課題②への回答。何故我々は時に不自由な思いをしてまで社会を守ろうとするのか。その根本にあるのは孤独への恐怖ではないかという仮説の下、所有権の確保をはじめとしたコンヴェンション(convention)についてまとめる。

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