義村一仁追悼特集

義村一仁君追悼特集に寄せて

2018.09.03

平成24年度(2012年度)
修士1年

7月29日 広大臨時職員(TA)の辞令を、はにかみながら家族に見せました。
9月24日.26日 アクセシビリティーリーダーキャンプメンバーとの再会で富山へ。
12月1日 奨学金をいただいている小山基金主催の講演会で講演(私のキャンパスライフ)
1月20日 自分自身の課題が多くあるとのこと。(アクセシビリセンターで依頼されている模様)
依頼事項は、①視覚障害者のパソコン利用のノウハウマニュアル作成 ②大学ホームページの一角を作成 ③タブレット研究 ④特別支援学校教諭へのパソコン指導。これらをやると1年卒業が延びるかもしれないとのこと。延びても良いから思うとおりにやるように言った。ホッとした様子でした。
2月22日 一番の仲良しであり、一番の理解者であった『大好きな祖父』が永眠。一生懸命悲しみをこらえました。

平成25年度(2013年度)
修士2年

5月 修士を1年延ばすことにした。1年余分に広大に在籍出来ることになり、嬉しそうでした。広大が大好きでした。
9月 躊躇するおばあちゃんを、君が強引に誘い甲子園球場へ。祖母に一度甲子園を見せたかったのか?、祖母を出しにして君が行きたかったのか?
14:00 プレイボール、19:28 延長12回規定により引き分け。シーズン最長試合。二試合分観戦でき君は大満足でしたが、「おばあちゃんお疲れさま」と気遣う君でもありました。
11月 君は、自動運転システム車の応用で、盲導犬に代わる『外出支援システム』を考え、嬉しそうに一気にまとめた。詰めは、特許事務所の弁理士さんの人脈で岡大を紹介されたが、広大の手前、岡大はまずいと伝えた。すると弁理士さんは同様の研究論文を揃えてくださり、論文執筆者と共同研究の方法もあると言われた。

(その後、本人の体調の事もあり棚上げになってしまったが、興味を示す人、企業が現れ実現してほしいと願っています)
(☆論文「アクセシビリティ」岡山モデルの提案書は別掲)


(小山基金を受けての活動講演が冊子に)


(倫理学研究室での共同演習風景)

お正月、肥満になってきたので、体調管理、特に暴飲暴食、睡眠時間に気をつけるように注意した。食べ過ぎと運動不足から来るものと思っていた。本人もそれを認めていた。


(Hume『人間本性論』の点訳)

平成26年度(2014年度)
修士3年目

眼の痛さを訴え眼科通院。1ヶ月程通院するが国立病院を紹介された。
4月25日 国立病院で診察。角膜に傷があるので治療をすることになり入院。連休中にも関わらず医師2人が出勤し治療にあたってくれ、予想以上の回復で
5月4日退院となった。退院後は定期的に検査通院。
5月25日 身体を慣らすため30分間散歩。君は4ヶ月間ほとんど歩いてないので息があがっていた。それでも頑張って5月一杯散歩を続けた。
6月1日 広島へ送って行く。さすがに修論の焦りが出ていた。
9月6日 眼科通院。修論に追われているので、夕方送って行く。
10月8日 君にTel。「今は、修論の事で手一杯であせっている」との事。
10月20日 旭川荘厚生専門学院精神保健福祉科受験(資格取得のため)。後日、合格通知をもらう。
11月2日 君から母にTelあり、目が痛いから迎えに来てほしいとのこと。眼科通院。ドライアイとのこと。
11月15日 君から体調不良の連絡。母がかけつけた。通院し、肺炎と診断され点滴。翌日も点滴した。

修論が無理であればもう1年残ってもいいと話す。ホッとした様子。「1年延ばしてもらったのに、もう1年行かしてくれと、どの面下げて言えるのか」「しんどいので、とても修論に集中できない」と悩んでいたと言う。君の初めての弱音でした。一人で悩んでいたと思うと…。
専門学校は入学し、即休学することになった。
12月23日 君の誕生日(女性の友人と食事をしたとのこと。よかったネ。今の父親からすれば、いい思い出になる誕生プレゼントに思われます。ありがとうございました。)
1月1日 君の、体調が万全ではないことと寒風が吹いていたので初詣を見合わせた。
1月6日 夜間の眠りが浅く、咳が続く等体調不良のため国立病院へ。肺炎が完全に治っていないとのこと。肺炎が治ったら検査入院し夜間の睡眠障害の原因を調べることになった。
1月22日.23日 国立病院で検査入院
1月31日 西条へ。無理して行くなと言うが、「みんなに会いたいし、1年前も行けなかったので卒業する皆に会えなかった。今年は行って会いたい。」それ以上は止められなかった。
2月2日 君からTel。母にホームシックになりそうと言う(今まで一度も言ったことがない)。また、寒くて外に出られないと言う。


(膨大な量の点訳と整然とした勉強部屋)

2月3日 君からTel。部屋が片付いたのでエンジンをかけると言う。
2月8日 一仁宅へ。充実しているのか穏やかな言動。みんなに会えると言い嬉しそう。
2月24日 国立病院通院(検査入院結果…睡眠時無呼吸症候群)美容院でカット後、西条へ。
3月3日 母にTelあり。直ぐに両親西条へ。ふらふらの状態であった。帰途、西条で通院。レントゲンを撮ったが肺炎ではなく風邪とのことでした。

3月7日 朝食後、こたつでお茶を飲んでいるとき、突然意識を失いました。父が心臓マッサージと人工呼吸をし、祖母が、出勤直後の母に連絡し呼び戻し
ました。救急車で国立病院へ行ったが蘇ることはありませんでした。君は眠るように永眠しました。8:52でした。

病院から帰る時、迎えの車の人にお願いして、君がおじいちゃんとよく行っていた所に行ってもらいました。
東京からみんなが駆けつけるまで、君は静かに家族と過ごしました。後は、『みんな君が大好きな空気の中』で、心ゆくまで自宅で過ごしました。
9日 朝、父は君の写真と家じゅう隅々まで歩きました。そして君は大好きだった家を出ました。


(17時50分に携帯電話で撮った虹の橋)

一日中雨が降っていましたが、『姿が変わって再び家に帰った君』を迎える前に雨が上がり、東の空に大きな虹が出ました。虹の橋を渡って天国に帰った
のだと確信しました。
その時の虹は写真に撮っておきました。17:50でした。

3月11日 父と母は、広島大学へ行き、お世話になった皆様にお知らせしました。とてもびっくりされ、涙を浮かべて聞いて下さいました。それから何度か西条に行きました。
3月23日 7年間お世話になった『君の城』から荷物を運びました。荷物整理をしている時、3人の後輩が来てくれました。帰ってからは5人の先輩・後輩、また、君の親友も来てくれました。
後輩から手紙をいただきました。大学院進学に際し、よく助言をしてもらったと記されていました。3年前の先輩からの特訓のお返しが出来たのだと思いました。
5月22日 アクセシビリティセンターから、山本先生はじめ4人の先生方がお参りに来てくださいました。
5月18日.9月末 君の点字本、点字資料の分類・整理に取り掛かりましたが、想像以上によく勉強していることが分かりました。
6月22日 君のことを、次回の『HABITUS』に掲載してくれると言われました。感激と感謝で一杯になりました。
7月6日 修論指導の越智先生がお参りに来てくださいました。君の部屋をご覧になり、点字本・点字資料の山を見て感嘆されました。
10月10日 この日から、かつて、君と家族でお参りし、願い事をした神社に、写真を持って報告と御礼のお参りをすることにしました。高千穂神社参拝。思
いが巡りました。
阿蘇神社参拝。前回、君が回った縁結びの『高砂の松』の周りを、今回は父が君の写真を胸に回りました。天国でやさしいお嫁さんに巡り合いますようにと願って。
12月7日 君の点字図書が、「広大中央図書館」の蔵書になることが決定しました。佐野先生、山本先生、センターの皆様方のおかげです。君が一番喜んでいると思います。
12月23日 大神神社参拝。今年の正月、君は「悪いことばかり起こるので厄払いにお参りしたい。大神神社にお参りしたい」と言いました。君の誕生日に写真と一緒にお参りしました。

平成28年(2016年)

1月13日 大学へ点字図書を持参しました。中央図書館に登録(全国にリスト公開)し、センターに長期貸し出しの形となりました。

倫理学研究室を訪問。先生方と『HABITUS』の話になり、大学入学までの経緯は父が書くことになりました。

1月18日 経緯を書き始めましたが中々進まず、2月に入ってようやく一応の目途が着きました。

広島大学に籍が無くなっても、先生方、学生さん達に、こんなに思っていただける君は幸せです。院の卒業アルバムには載らなくなりましたが、『HABITUS』に取り上げていただくことで、在籍していたという立派な証になります。感謝の他なにものでもありません。

大学では大勢の皆様にお世話になり、助けられました。文学部・文学研究科時代の先生方、アクセシビリティセンターの皆様、先輩・同期・後輩の皆様、学生支援室の皆様、生協の皆様、マンションの皆様、『みずほ福祉助成財団』様、『小山基金』様…。本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。家族一同、感謝の気持ちで一杯でございます。


(倫理学研究室の学生さんへの御礼のペーパーウエイト)

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