義村一仁追悼特集

義村一仁君追悼特集に寄せて

2018.09.03

追記の追記

隠れタイトルに「神様からお預かりした宝」とありますが、誕生した時、真にそんな気がしていましたし、また今でも思っています。

なぜか呼び捨てにはできなかった。家族はみんな一仁君と自然に君をつけていました。
君は不思議な面を持っていた。2歳ころにはよく「うちゅ
う うちゅう」と言っていた。
ある日の祖母との会話、祖母「一仁君、うちゅうって何? 一仁君はどこから来たの? 宇宙からきたの?」

一仁「僕は雲の上で雷様のお手伝いをしてバケツで雨を降らせていたの。雲の上から下を見ていたら落ちたの。」

祖母「落ちた?どこへ?」

一仁「真っ暗で、狭いところだった。狭かったので動けなかったの。」


(広島大学図書館に登録後、アクセシビリティセンターに所蔵される一仁が寄贈した点訳本)


(小学校2年生頃に描いた忍たま乱太郎の絵)


(母と一緒に本を読む)

祖母に背負われていた時「おばあちゃん振って。一杯振って。おみこしさんみたいに振って。」それからは、背負われるたびに(祖母に対してだけ)言った。
出産前、祖母と母が、秋祭りの日、神社にお参りした時、神輿が大きなおなかの前で、しばらくの間、振り立てられた(意識的にそうしてくれたと感じた)ということでした。

2歳半頃には、神棚の前で祝詞を、仏壇の前で般若心経をあげていた(祖父の横で覚えていた)


(天使のようなお気に入りのポーズで)


(宇宙・恐竜・クジラに興味があった一仁)


(上:祝詞をあげる練習 下:新聞を読む(見る)幼少の一仁)

3歳の誕生前(2歳11か月)、父が勤務中、母から用事でTelあり。途中で変わった君が突然「お父さん、そこ畳ある?」と聞いた。勤務先の部屋の畳が汚れたので洗っていた時であった。母に「何か畳の話していた」と聞くと「何も、全然していない」とのこと。


(入学 ランドセル姿)

 
(池のセメントを練る)        (中学入学 母と)

3歳になって、祖父から「古事記物語」を読んでもらい、おおよその神話は覚えてしまった。

 
(小3 県立博物館で)(幼少期に祖父に読んでもらった『古事記物語』)

幼稚園の卒園文集に将来の目標に「本を書く人」とあげた。(6年生の文集にも書いていた)
大学に入って研究者の道が選択肢に入ってきたが、広義の「本を書く人」か。

小学校3年生の時、『無の世界』発言をした。哲学を学ぶことになっていたのか。

『姿が変わって再び家に帰った君』を迎える前に雨が上がり、東の空に大きな虹が出た。虹の橋を渡って天国に行ったのだと確信した。

誕生は、雲の上から落ちてきて、最後は、虹の橋を渡って天国に帰ったのだと確信した。

2016年1月 家族3人で四国へ行った。勿論、君とおじいちゃんの写真と一緒に。高知に泊まったホテルのルームナンバーは、君のマンションの部屋番号と同じ407でした。
「僕も一緒に行っているよ」と、君からのメッセージだと思いました。


(小学校6年生のとき 文集「赤とんぼ」22号)


(3歳6ヶ月 マリンライナーで高松へ 初めての電車)


(幼少期に書いた父への手紙と似顔絵)

 

一仁語録

1992年
4月2日 2歳4か月
祖母「一仁君、お芋食べ」
一仁「おいも、わかきも」(『老いも若きも』のつもり?)

3歳になる前であったか、長距離(伊勢)を走った時、車内で寝てしまった。
目覚めた時、
一仁「僕だけ寝てしまってから。時間がもったいない。みんな起きてたんでしょ。なんで起こしてくれなかったの。」と、本気で怒りだした。
父「運転していたお父さんだけ起きていたけど、みんな寝ていたよ」で渋々納得。

時間がもったいない=君に与えられた時間が人の1/3.1/4ということが分
かっていたのか?

1993年
2月12日 3歳2ヶ月 初めておねしょ
一仁「あみひいた」
父「なにそれ」
一仁「あのね、昔の言葉で、おしっこしたということ」
後で調べたが分からなかった

(「あみひいた」があるかどうかよりも「昔の言葉で」ということに…)


(2歳の誕生日)

 

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