義村一仁追悼特集

広島大学入学に向けて

2018.09.03

  私には、どうしても広島大学で学びたい理由がある。
 私は弱視で小学校入学から12年間、岡山盲学校に通っている。
 この間、学校内外で数多くの視覚障害者に出会い、彼らとの交流を通して様々なことを学んできた。
 すばらしい仲間がたくさんおり、私には出来ないこと、健常者でも難しいことをやってのける人が何人もいる。
 世の中には、社会的弱者に対する差別や偏見、誤解は数多くあるが、それらは視覚障害者に対しても同様である。
 中でも視覚障害者に対する誤解には特有のものがある。その一つに、「視覚障害者=何も出来ないのではないか」というものがあり、視覚障害のためにすべてが劣っているとみられ、出来ることに対して必要以上に驚かれるということがある。私自身も「パソコンが出来る」といえば信じられないといったニュアンスの言葉が返ってくることがある。視覚障害者は健常者と情報の入手方法が異なるだけで、能力的には遜色ないと思っている。「誰かの」、「何かの」少しの手助けがあれば、大抵の事は出来るのである。私のパソコンは音声出力のソフトが組み込まれているので、それの手助けでさほど不自由はないのである。
 視覚障害者も努力次第で、大学で学ぶことは十分に出来る。それは文科系だけでなく理科系でも可能である。
 私は、一生の仕事として、教師か社会福祉関係の仕事をしたいと思っている。障害者と同じ目線で、障害者の自分でなければ分からない微妙な見地からやってみたい。教師になった場合は、基本的に盲学校への配属を希望しているが、短期間でも普通校勤務になった時には当事者として、生徒の障害者理解に努めてみたい。
 しかし、今の自分には、教師か社会福祉関係者かまではイメージできても、最終的に絞りきることは出来ていない。本当にしたいのはどちらか、どちらが向いているのかの迷いもある。
 そこで、学問を通して自分自身を見つめ、向上させ、大学の4年間で答えを出すことにした。さらに必要があればそれから専門の学びをしたい。
 そのためには、あらゆる学問の根幹を成す哲学を学んで土台作りをし、弱者問題、特に視覚障害者問題を応用倫理学の視点から多面的にとらえ、確かで説得力のある考えを身につけたい。
 しかし、視覚障害学生の受け入れ態勢、支援体制が十分に整っている大学は非常に少ないという現実に直面した。精一杯勉学に打ち込むことができるかどうかは、支援体制の中身によって大きな差が出てくる。その基準で大学を探し、絞り込んでいったところ受け入れ態勢、支援体制とも広島大学が一番充実していた。さらに事前相談時に、「支援体制は日本一である」と説明を受けた。最高レベルの教育水準と、日本一の支援体制がある広島大学で学び自分を向上させ、進路の答えを出したい。そして将来は障害者に関係した仕事を通して社会に役立ちたい。
 それが私の夢であり、同時に「視覚障害者=何も出来ないのではないか」という誤解も少しは解けるのではとの思いもある。

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